2008-11-28 第170回国会 衆議院 外務委員会 第3号
そんな中、十一月の二十日木曜日、祐天寺において第二回目の韓国出身戦没者還送遺骨追悼式が行われ、私も今回初めて参加をさせていただきました。マスコミへの全面公開、関係する一般市民の方の参加。
そんな中、十一月の二十日木曜日、祐天寺において第二回目の韓国出身戦没者還送遺骨追悼式が行われ、私も今回初めて参加をさせていただきました。マスコミへの全面公開、関係する一般市民の方の参加。
「比島より二十四年頭還送の遺骨遺体中本籍氏名不明のもの二千七十五柱佐世保局より留守業務部へ移送」、こう出ております。この時点で、二千七十五柱を除く遺骨は遺族に届けられたということになりますね。
終戦になりまして一年間は、日本の兵隊さんの傷病兵がいましたので、仕方なくというんですか、やむを得ず牡丹江とハルピンの病院で日本の傷病兵の看護をしまして、二十一年の八月、その傷病兵の方が日本に引き揚げるとき、内地還送になるときに、当然私たちも帰さしてもらえると思って荷物をまとめたんですけれども、行く先は別々でした。
第二の、それにいたしましても、そういう危険物等が日本に還送されてくる、それにつきまして駐留軍労務者が危険に面していろいろ心配をするというようなことにつきましては、これを十分、国内のしかるべき段階で米軍当局と折衝いたしまして、そういうことは除くように、その点につきましてはわれわれとしても十分努力したいというふうに考えております。
ところが、今回郵政省がやろうとしております問題については、サービスを改善しようという考え方はある程度あるかもわかりませんけれども、逆に、郵政省側からいたしますと当然のことかもわかりませんが、たとえば高層建築等については一軒々々配達しない、あるいはまた現金を封入してはならない、あるいはまた移転届を出さなければ転居先についてはこれを還送しないというふうに、サービスを向上するより、サービスを制限するという
これの還送費と申しますか、持ち帰る費用、あるいはまた内地の倉庫の倉敷料、こういうものが、ちょっと私の記憶は不確かでございますが、全部でたしか六百万円から七百万円の間になると思うのでございます。
これを集約酪農地域に還送するようなことは合理的なことではございませんので、その例から見てもそのように思うのであります。第二の、指定地域の規制が逆行しておるのじゃないかということは、提案理由で過般政務次官が当委員会で御説明を申し上げましたように、集酪地域に指定されるような地域がだんだん減りまして、中には原料乳地帯と市乳地帯の両方がある。
従いましてコールダーホールの炉を入れまして、この中からできましたプルトニウムは、使用済み燃料のままで英国に還送するわけでございますが、その還送してできたプルトニウムは英国の貯蔵庫に入れておきます。
それがロシアの還送で帰ってきたのですが、北洋漁業の方に転換さしていただきたい、優先的に世話していただきたいという陳情であります。こういうのはどう水産庁でいたしておりますか、多分水産庁に陳情がきていると思うのですが。
○国務大臣(岸信介君) 従来この中国人の労務者の遺骨を本国に還送することにつきましては、遺骨慰霊実行委員会という団体において非常に努力をされまして、今日まで相当な結果を得られておるのでありますが、今お話の通り、人道的立場からこれらを丁重に本国に還送することは、私は日本として当然やるべきことである。
その中に内地へすぐ帰りたいといって手紙をよこしている人がございますので、こういった資料を外務省を通じましてソ連側に提供して、なるべくすみやかに内地へ還送してくれるように要請いたしております。
○田邊政府委員 二十八年の八月マヌス島から戦犯が内地へ還送になりましたが、その総数は百九十六名であります。そのうち四十九名が上陸と同時に釈放されております。百四十七名がそのまま巣鴨に入れられております。それからフィリピンのモンテンルパから内地に引き揚げました者は、昭和二十八年七月でございますが、総数百十一名でございます。
それでありますから、これを中心として逐次毎月毎日刑の明けた人をそこへ集めて、また三、四十名になると還送が行われるのではないかと思います。この期限の予測は、ほかの方の状況がわかりませんから、何人来られるかということはわかりませんが、まあ私の想像では、外交交渉がまとまらなければ三、四カ月の後には刑の明けた者は帰してくれる。刑の明けた者は、ソ連の政府との約束がありまして、これは帰さなければなりません。
それから帰還者の還送回数を数多くしていただきたいということを書いておりますが、これは今のように一年に一回では、非常に向うにおる人は待ち焦がれて、何ともできないような焦躁の感にうたれるのでありまして、実際一年に一回でもやってくれればいいのですが、ここにおいでになる赤羽女史のごときは五年もそのまま残っておられた。船が来ても、まだ帰すべきものも帰さずにほうっておくのが相当あります。
我々が我々の同胞の遺骨に対してそういう熱望を持つているのであれば、なお更こちらから進んでこちらにある遺骨を集め、そして還送するということは当然国際的な人道主義の上からのみならず、我々同胞の海外にある遺骨に対する国民の当然すべき大着手だと思うのです。
第一に、最初に二回の中国人俘虜殉難者遺骨還送状況につきまして、外務省のアジア局長の中川さんから御説明を願います。
○矢嶋三義君 私伺つておきたいのは、そういう不法入国者を還送する場合ですね、その輸送料金というものは輸送業者即ち船会社にでも負担させなければ、密出入国者を闇料金か何かで輸送するというような事態が起りはしませんか。
それから、南方の遺骨の問題について委員長からお話がありましたので、簡単に申し上げますが、南方の遺骨につきましては、一昨年の第十三回国会だつたと思いますが、その際の決議に従いまして、原則としましては、南方で戦没されました方々の遺骨を内地に還送し、またできれば現地において慰霊をするという方針をとつておりまして、その方針の実現といたしまして、昨年初めには太平洋各島の遺骨の内地還送及び慰霊が行われましたし、
その際におきましては、特に現地軍兵器部におきましてこれを購入いたしまして、これを補給廠を経て内地へ還送をいたしておりました。これが入手の径路であります。品質は、主として工業用ダイヤモンドでありますが、現地において買い上げるものは、工業用にあらざるものも、万一の場合を顧慮して買い上げております。
これによりますると、在日華僑の中で北本州にある炭鉱労務者を最も優先的に取扱つて、おそくとも昭和二十年十一月十四日から一日一千人の割合で送還すべし、それから北支向けの送還者は月に一万人、中支向の送還者は月に二千人、これを越えない割合で北支諸港または上海にこれを送還せよ、それから、輸送船は日本の商船、海軍艦船または米国船のLSTによつてこれを輸送する、このような方法によりまして、昭和二十一年三月末日までに還送
さらに、この七月二日ごろに黒潮丸によつて遺骨を還送するという際の具体的な実行計画と申しますかは、現在検討中でありまして、これも至急に関係のところと連絡いたしまして、進めたいと考えております。
内地還送するいろいろな話が出まして、その都度現地におきましては喜び、あるいはその話が消えると意気消沈しては、いつ祖国の土が踏めるかと、はかない望みを抱きながら毎日を過しておる状態であります。 マヌス昂の戦犯者を管理しておりますところの濠州海軍の収容所の編成は、所長が一名、これは現在ヘンリー少佐と称する現役の方がやつておりまして、その下に看守長、これは下士官であります。
○松本参考人 ただいま問題になりましたところの内地還送の問題で、マヌスにおきまして、きわめてエピソードを持つた問題ができ上りました。と申しますのけ、シドニー・サン紙の新聞記者がマヌスに参りまして、われわれ日本人戦犯者のその日その日の生活状態を次のように報導されました。
御質問の、今までの経過を申し上げますと、昨年来数回にわたりまして、東京におきましては、各大使、公使、駐日代表に、外地におきましては、各使臣が、先方の外務大臣に、文書をもつて正式に、一般釈放並びに減刑、仮出所、あるいはマヌス島、比島モンテンルパに関する内地還送、こういう点を非常に熱心に頼みました。その後も折あるごとに口頭をもつて頼んでおります。